
ABOUT MANGANJI
満願寺について
延元二年よりこの丘に。医王山 寂光院 満願寺は、茨城県龍ケ崎市半田町にある天台宗の寺院です。
ごあいさつ
こころの荷を、ひとつ下ろしに。

満願寺へようこそお参りくださいました。当山は延元二年、西暦一三三七年の創建と伝えられる天台宗の寺院です。龍ケ崎の丘の上、竹林と田畑に囲まれた静かな場所に、六百八十年あまり同じかたちで在り続けてまいりました。
ご本尊は阿弥陀如来。「南無阿弥陀仏」とお唱えするその一声が、どなたのもとにも等しく届くというのが、この仏さまのお約束です。だからこそ当山では、檀家であるかどうか、どの宗旨のご家庭かを問いません。困ったとき、迷ったとき、どうぞそのままの姿でおいでください。
大切な方をお送りするとき。お墓の行く末に思い悩むとき。人はどうしても一人で抱え込んでしまうものです。まずはお話をお聞かせいただくところから始めさせてください。答えを急がずとも、ご一緒に考えてまいります。
お寺は、檀家のためだけの場所ではないと思っています。近くを通りかかったから、木陰で少し休みたいから。そんな理由でも構いません。門はいつでも開いております。
寺院概要
医王山 寂光院 満願寺
- 寺号
- 満願寺(まんがんじ)
- 山院号
- 医王山 寂光院(いおうざん じゃっこういん)
- 宗派
- 天台宗
- 本寺
- 比叡山 延暦寺
- 本尊
- 阿弥陀如来
- 創建
- 延元二年(1337年)
- 所在地
- 〒301-0806 茨城県龍ケ崎市半田町993
- 墓地
- 原霊園(合祀墓「倶會一處」を併設)
「醫王山」の額
本堂の正面に掲げられているのが、山号を記した扁額「醫王山」です。醫王とは薬師如来の別名で、人の心と体の病を癒す仏を指します。当山の本尊は阿弥陀如来ですが、山号にはこの醫王の名が残されています。
明治十五年の火災で伽藍のほとんどを失った後、再建された本堂に、あらためて掲げられたものと伝わります。
縁起
六百八十年を、この丘で。
『稲敷郡郷土史』に伝わる創建の記録と、一冊の過去帳が語り継いできた歩みです。
延元二年1337
創建
『稲敷郡郷土史』によれば、当山の創立は南朝・延元二年と伝えられます。南北朝の争乱がまだ収まらない時代でした。山院号を医王山寂光院、本寺を比叡山延暦寺とする天台宗の寺院として、この地に開かれました。
貞享元年1684
中興・覚秀上人
過去帳に、この年の五月十三日に寂した覚秀の名が記されています。当山に残る歴代の記録はこの覚秀から始まっており、江戸初期に寺を建て直した中興の祖であったと考えられています。
明治十五年1882
火災、そして過去帳だけが残る
一月二十八日(新暦三月十七日)の火災により、伽藍と什宝のことごとくを焼失しました。焼け跡から持ち出されたのは過去帳ただ一冊。創建以来の詳しい寺歴を知る手がかりは失われましたが、その一冊が歴代の名と、この寺を支えた人々の記憶をつないでくれました。
現在TODAY
念仏の声は、いまも
旧暦十月十日の念仏十夜会には、檀家の方々と、その年に新仏を迎えたご家庭の親族が本堂に集まり、念仏供養が営まれます。境内には原霊園と合祀墓「倶會一處」が整えられ、お墓の継承に悩む方々の受け皿となっています。
※ 山院号・本尊・創建年は『稲敷郡郷土史』および当山所蔵の記録によります。
歴代
過去帳が伝える名。
明治十五年の火災を免れた過去帳に、歴代の名と示寂の日が記されています。
※ 過去帳の記載順によります。年号の重なりや前後は、記載のまま掲げております。

焼け跡から持ち出されたのは、
過去帳ただ一冊だった。
境内全景
これからのこと
門は、開いています。
其の一
宗旨を問いません
当山は天台宗ですが、ご葬儀も、ご納骨も、宗旨・宗派を問わずお受けしています。檀家になっていただく必要もなく、入檀料もいただきません。
其の二
継ぐ人がいなくても
合祀墓「倶會一處」は、お寺が永代にわたってお守りするお墓です。承継者のいらっしゃらない方も、無縁になることはありません。
其の三
まずは、話すことから
何から話せばよいか分からない、という状態で結構です。決めていただく必要もありません。お電話一本からお受けしています。